高校を卒業し、ちょっとだけ大人になった原哲夫。その後、本格的に漫画家としてデビューするまで、もう少し期間があったようだ。
オレの漫画家としてのデビューは高円寺から。
当時、高円寺におばあちゃんが住んでいてね。毎日、ご飯を食べさせてもらっていたんだよ。あの頃、おばあちゃんには、本当に世話になったね。
初期作品の『鉄のドンキホーテ』なんかも、高円寺で描いていたんだよ。
ただ、『北斗の拳』のヒットまで、それほど時間はかからなかった。憧れの地、吉祥寺へと、すぐに居を移ることが出来たのだろうか……。
いやいや、そんなことはないよ。高円寺の中でも3回ほど引越したんだから。
最初は、お世話になっていた祖母の家の、隣の隣くらいにアパートを借りたんだったかな。そこは、風呂もなかったね。
その後も、少しずつランクを上げたんだ。最初はアパートだったけど、マンションになって。途中から風呂もあったよ。
自分の作品をこだわりを持って仕上げつつ、吉祥寺へと思いを馳せる、20代前半の原哲夫。
その後の活躍は、もはや説明の必要もないだろう。
その後の活躍は、もはや説明の必要もないだろう。
その頃、北条司先生も『キャッツ♥アイ』をスタートさせていて、オレにとっては、憧れの先輩だった。
その北条先生も、吉祥寺にいたんだ。だから、高円寺で仕事をしながらも、「ヒットしたら、仕事場は吉祥寺に移す」っていう思いはずっと持ってたね。
巣鴨の風俗嬢の前を通るだけで、ドキドキしていたあの日。
歩けども、歩けども、秋本治の事務所にたどり着けなかったあの夏。
途方にくれて、デパートの屋上から、広い街並みを見つめるしかなかったあの頃……。
気がつけば、あれから、30年以上の長い時間が経っている。
歩けども、歩けども、秋本治の事務所にたどり着けなかったあの夏。
途方にくれて、デパートの屋上から、広い街並みを見つめるしかなかったあの頃……。
気がつけば、あれから、30年以上の長い時間が経っている。
そして、今なお、原哲夫は吉祥寺で、漫画を描き続けている。
気がつけば、スタッフも増えている。憧れだった北条司とも、周知の間柄。マンガ界において、誰もが認める地位にもいる。
しかし、がむしゃらに夢を追いかけたあの頃と、漫画に対する情熱はひとつも変わらない。
巣鴨発、吉祥寺経由、未来行き……。
原哲夫の物語は、まだまだエピローグを迎えることなく、また次のストーリーを紡ぎだし続けている。
(おわり)