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2017.01.12スタッフルーム

Vol.15 仕上げ・デジタル部門 玄さん 前編

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原哲夫と共に働くたくさんのスタッフを、抜き打ちでチョクゲキ!! 普段は見ることのできない原哲夫の素顔や、仕事のこぼれ話を大バクロするこのコーナー。2017年一発目となる今回は、社歴5年の中堅スタッフ、仕上げ部門の玄(げん)さんの登場です。

小学5年生から大学卒業までを韓国で過ごしたという在日韓国人の玄さん。時代やお国柄の壁を目の当たりにし、それでも「漫画を描きたい」という熱い思いで走り続ける彼がたどり着いたこの世界はどんな風に映っているのでしょうか。「2017年が勝負の年」と語る35歳の言葉は重さがあります。

母からの衝撃のひと言、中学の担任からも……
名前でピンときたかもしれませんが、僕は日本人ではありません。でも小学校4年生の時に母親から突然「お前は韓国人だ」と告げられるまで、本当に知らなくて。よく分からないままに翌年から韓国に渡って、大学卒業までをすごしてました。

1991年から韓国での生活がはじまったんですが、当時はまだ軍事政権で、反日教育が根強かった。なんと日本語しかしゃべれない僕には、訳もわからず“グーパン”が飛んでくるんです(苦笑)。しかも学歴を重視する社会なので、漫画を描いているのが見つかるとぜんぶ学校に没収されました。中学の担任が僕に対して放った最後のひと言も「漫画なんて描くんじゃない」でしたから(笑)

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それでも漫画はコソコソと描きつづけていました。大学を卒業し、お金を貯めて日本に戻ってきたのが25歳の時。帰国後すぐに「男ならジャンプだろ」と、韓国で仕上げた作品を手に集英社の門を叩きました。結果は「これじゃダメだね」って。アシスタント先すら紹介してもらえませんでしたね。
「これじゃダメだ」で見せた決意。
貯めていたお金はすぐに尽き、漫画を描きながらのアルバイト生活が始まります。いくつか掛け持ちをしていた中で、翻訳や通訳の会社で社員として働くことになりました。でもその会社が、リーマンショックの影響で倒産してしまって……。貯めたお金もパーになって、本当に辛かったですね。

その後もバイトばかりで、満足に漫画と向き合うこともできません。そこで27歳の頃、「このままじゃズルズル行くだけだ」と一念発起して、実家の親父に会いにいって「漫画をやらせてくれ」と土下座をしました。そこからやっと漫画の学校に通うようになり、投稿や持ち込みの日々となりました。その時も、どこにも引っかかりませんでしたけど(苦笑)。

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その後、運良くこのスタジオに入社することができました。ただ、他の人とはすこし違います。というのも、僕は絵を描くためのスタッフではなく、当時在籍していた韓国人スタッフの通訳として入ったんです。でも、せっかく先生のもとで働けることになったので、「できることやらせてください」とお願いをし、絵も担当させてもらえることとなりました。そこが下積みのスタートになります。
(中編につづく)

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